チャーチ・オブ・ゴッドの教理のページです
下の写真はシェルホン師が日本宣教のビジョンが与えられた横浜港の今の姿です
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私たちの信仰

チャーチ・オブ・ゴッド(COG)の信仰の特色は何でしょうか。それは聖書信仰と「チャーチ・オブ・ゴッド三大基本理念」に表現されています。すなわち「福音の宣教」、「聖潔の生涯」、「教会の形成」です。

1 聖書信仰

聖書信仰とは、「旧新約聖書は誤りなき神のことばであり、信仰と生活の基準である。」と告白 する信仰です。「チャーチ・オブ・ゴッド聖書教理」聖書の項に私たちの聖書に対する信仰を明記しています。それは以下の通りです。「旧・新約聖書は、それぞれの著者によって記されたとき、神の霊感を受け、聖霊の充全な指導のもとに記述され、原典において絶対、完全、永遠、無謬であり、信仰と生活における最高、最終的唯一の規範である。」

2 チャーチ・オブ・ゴッド三大基本理念

チャーチ・オブ・ゴッド(COG)の信仰の特色のもう一つは「チャーチ・オブ・ゴッド三大基本理念」に表現されています。即ち「福音の宣教」、「聖潔の生涯」、「教会の形成」です。

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チャーチ・オブ・ゴッド(COG)はその創群のときから一貫して宣教的な群れです。一人の宣 教師の熱烈な魂を愛する愛から生まれた教団です。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ116:15)と主イエス様が命じられたみ言葉に従い、福音の宣教こそが神からCOGに託された大使命であると受け止めてきました。事実、COGが歩んできた道は文字通り福音の宣教に仕えてきた道であります。そしてこれからもたゆむことなく歩み続ける道であります。

 
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キリストの十字架による贖いによって罪を赦された者が、さらにまされる第二の恵みとして、私たちに与えられている聖潔(ホーリネス)に進むことは、聖書全体にわたって教えられている真理です。ホーリネスに至らない救いは完全ではありません。チャーチ・オブ・ゴッドの群れは、その創立のときからこの教理に立ってきました。「聖潔の生涯」とは教理の理解(神学的にはウェスレー的アルメニアン神学)においても、実践の生涯においてもチャーチ・オブ・ゴッドの中核となる基本理念です。それはおおむね次のように理解するとよいでしょう。人はキリストを信じたとき、罪を赦され救われ義とされます(義認の恵み)。これは行為の罪からの完全な救いです。しかし、人間の性質の罪(Inbred Sin)、即ち「罪の根、古い人、肉の性質」などと表現されている罪は赦しの対象というよりは聖潔を必要とする罪です。聖潔とはこの性質の罪が十字架につけられて滅ぼされ、キリストにあっていのちに生きる事です。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20) そしてキリストを内に住まわせて生きる生活です。「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでくださいますように。」(エペソ3:17) この聖潔の恵みは信仰によって十字架を仰ぐとき、転機的に経験する恵みです。しかし、聖潔の経験は固定的、静的な経験ではなく絶えず成長し続ける動的(ダイナミック)な経験です。そのためには恩寵の手段といわれる聖書拝読、祈り、聖霊の御声への聴従、公会(礼拝、祈祷会、伝道集会等)の出席を心がけることが大切です。「聖潔の生涯」とは、聖潔の転機的体験に重きをおくだけでなく、私たちが聖潔の恩寵の中に日常的に生活することの大切さを示しています。

 
 教会の形成
 

「福音の宣教」の結果、人が救われ、「聖潔の生涯」に進むなら、そこに必然的にキリストのからだである「教会の形成」がなされます。救いも聖潔も個人的経験ですが、この救いを受けた者は神の教会(エクレシヤ)を形づくる者とされたのです。 「教会はキリストのからだであり。」(エペソ1:23)、 「…ひとりひとりは各器官なのです。」(汽灰螢鵐12:27)という聖句はそのことを表しています。これは目に見えない不可視的教会(時代、地域を越えて存在する普遍的教会)という概念に留まらないで、目に見える可視的教会(地上に空間を占める地域教会、チャーチ・オブ・ゴッドもその一つ)という具体的な教会を形作ることを意味します。  「福音の宣教」は「聖潔の生涯」に進み、「聖潔の生涯」は「教会の形成」という具体的な形となって結実します。信仰とは単なる実存的な出来事ではありません。具体的に「教会の形成」となって現れるのです。 チャーチ・オブ・ゴッドの群れはこの点において明確な理念をもって教会形成に臨んでいます。福音の宣教⇒聖潔の生涯⇒教会形成の図式は循環して最初の「福音の宣教」の主体となるのです。つまりそれぞれ次の働きの主体となって連続的循環的働きを生むのです。この循環は教会が主の再臨によって天に上げられるまで繰り返される働きです。


(※「COGの神学」より)

 


チャーチ・オブ・ゴッド(COG)の神学


宗教法人「チャーチ・オブ・ゴッド」はどのような神学(信仰)に立っているでしょうか。これに関して「チャーチ・オブ・ゴッド」発行の「聖書教理」第12項に「全き聖潔(ホーリネス)」と明記されています。これを神学的に表現するなら、チャーチ・オブ・ゴッド(COG)はウェスレー的アルミニアン神学の流れの中にあるということができます。



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私たちがアルミニアン神学という用語を使うとはき、それはカルビン主義神学と区別するためです。ヤコブ・アルミニウス(1560〜1609)という人はオランダの神学者でした。彼は厳格な改革派神学(カルビン神学)のもとに育った人ですが、のちにカルビン主義の二重予定説(ある者は救いに選ばれ、ある者は滅びに定められるとする説)に反対しました。そして「人間の自由意志」を尊重した考えを主張したのです。ですからアルミニウス神学といってもカルビン神学の一部分(予定論)を修正したものであって体系的にはカルビン神学に立っていたことに変わりはありません。 ジョン・ウェスレーも大筋においてカルビン神学を否定していません。しかし、カルビン神学の二重予定の教義では、年来の友人ホイットフィールドと決別してまで神の恵みによる賜物としての信仰による自由意志を強調することでアルミニウス的な考えに立っています。

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それでは、アルミニアン神学とウェスレー神学は同一のものでしょうか。結論から先に云うなら両者の間にはかなりの相違があります。特にウェスレーが強調する恩寵の自由の問題と聖化の考えについて決定的とも云える相違があります。アルミニウスと彼の後継者たち(レモンストランと呼ばれた)はかなり幅広く人間の自由意志の働きを主張しましたが、ウェスレーはそのような自由意志は生来悪に向かってのみ自由なのであって、それ自体では神にいたることは出来ないと理解しました。しかし、すべての人間は「恵みによって回復された自由意志」をもっていると主張します。ウェスレーが強調したのは自由な恩寵、すなわち先行的恩寵としての神の恵みによる意志の自由であって、自然的人間のもつ自由意志ではありませんでした。またアルミニウスは人がこの地上において完全に到達するとは考えていなかったし、当然のこととして転機的経験的聖化については否定的でした。このようにウェスレー神学とアルミニウス神学との間には大きな相違があるといえます。

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それではウェスレー的アルミニアン神学とは何を意味するのでしょうか。云うまでもなくウェ スレー神学の中心的位置を占めるのは「キリスト者の完全」として知られる「聖化(ホーリネス)」の教理です。ウェスレーは聖化を転機的な経験であり、その後も健全に成長する恵みであると理解しました。その最大の特徴は、聖霊の働きの強調でした。したがってウェスレー的アルミニアン神学のうち「キリスト者の完全」に要約される聖化の教理は以下のようにいうことが出来ます。


※ キリスト者の完全とは、罪から全くきよめられ、神と隣人を全く愛することである。
※ この経験は信仰によってのみ獲得される。
※ この経験は瞬間的に与えられる。
※ この経験は生存中、義とされてから死にいたるまでの間に受ける恵みである。
※ この経験は聖霊の内的証しと、聖霊による結実によって確証される。
※ この経験は固定した静的経験ではなく、動的(ダイナミック)であり絶えず成長する経験である。

検.船磧璽繊Εブ・ゴッド(COG)の神学

チャーチ・オブ・ゴッド(COG)はウェスレー的アルミニアン神学の流れに立っているが、これはCOGの創立者であるレイモンド・シェルホン師の内に流れている信仰です。R・シェルホン師はルーテル教会の信仰をもつ家庭に育ちましたが、兵役のため日本に駐屯しているとき、横浜の基地で回心して新生の経験をされました。その頃、シェルホン師に決定的な影響を与えた人が、米国チャーチ・オブ・ゴッドの牧師の息子であるロバート・ウォーマック師でした。彼はシェルホン師に義認に次ぐホーリネスの恵みのあることを教え導いたのです。後年、シェルホン師が学んだ神学校がゴッド・バイブル・スクールというホーリネスを標榜する神学校でした。この神学校は米国のウェスレー的アルミニアン神学の流れに属していました。このような経緯からCOGの神学はウェスレー・アルミニアン神学の中に位置づけることが出来ます。


それでは、チャーチ・オブ・ゴッド(COG)の信仰の特色は何でしょうか。それは聖書信仰と「チャーチ・オブ・ゴッド三大基本理念」に表現されています。すなわち「福音の宣教」、「聖潔の生涯」、「教会の形成」です。

1 聖書信仰

聖書信仰とは、「旧新約聖書は誤りなき神のことばであり、信仰と生活の基準である。」と告白 する信仰です。「チャーチ・オブ・ゴッド聖書教理」聖書の項に私たちの聖書に対する信仰を明記しています。それは以下の通りです。「旧・新約聖書は、それぞれの著者によって記されたとき、神の霊感を受け、聖霊の充全な指導のもとに記述され、原典において絶対、完全、永遠、無謬であり、信仰と生活における最高、最終的唯一の規範である。」

2 チャーチ・オブ・ゴッド三大基本理念

チャーチ・オブ・ゴッド(COG)の信仰の特色のもう一つは「チャーチ・オブ・ゴッド三大基本理念」に表現されています。即ち「福音の宣教」、「聖潔の生涯」、「教会の形成」です。

 (_擦寮覿

チャーチ・オブ・ゴッド(COG)はその創群のときから一貫して宣教的な群れです。一人の宣 教師の熱烈な魂を愛する愛から生まれた教団です。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ116:15)と主イエス様が命じられたみ言葉に従い、福音の宣教こそが神からCOGに託された大使命であると受け止めてきました。事実、COGが歩んできた道は文字通り福音の宣教に仕えてきた道であります。そしてこれからもたゆむことなく歩み続ける道であります。

 
◆\桟蕕寮験

 キリストの十字架による贖いによって罪を赦された者が、さらにまされる第二の恵みとして、私たちに与えられている聖潔(ホーリネス)に進むことは、聖書全体にわたって教えられている真理です。ホーリネスに至らない救いは完全ではありません。チャーチ・オブ・ゴッドの群れは、その創立のときからこの教理に立ってきました。「聖潔の生涯」とは教理の理解(神学的にはウェスレー的アルメニアン神学)においても、実践の生涯においてもチャーチ・オブ・ゴッドの中核となる基本理念です。それはおおむね次のように理解するとよいでしょう。人はキリストを信じたとき、罪を赦され救われ義とされます(義認の恵み)。これは行為の罪からの完全な救いです。しかし、人間の性質の罪(Inbred Sin)、即ち「罪の根、古い人、肉の性質」などと表現されている罪は赦しの対象というよりは聖潔を必要とする罪です。聖潔とはこの性質の罪が十字架につけられて滅ぼされ、キリストにあっていのちに生きる事です。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20) そしてキリストを内に住まわせて生きる生活です。「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでくださいますように。」(エペソ3:17) この聖潔の恵みは信仰によって十字架を仰ぐとき、転機的に経験する恵みです。しかし、聖潔の経験は固定的、静的な経験ではなく絶えず成長し続ける動的(ダイナミック)な経験です。そのためには恩寵の手段といわれる聖書拝読、祈り、聖霊の御声への聴従、公会(礼拝、祈祷会、伝道集会等)の出席を心がけることが大切です。「聖潔の生涯」とは、聖潔の転機的体験に重きをおくだけでなく、私たちが聖潔の恩寵の中に日常的に生活することの大切さを示しています。

 
 教会の形成
 

「福音の宣教」の結果、人が救われ、「聖潔の生涯」に進むなら、そこに必然的にキリストのからだである「教会の形成」がなされます。救いも聖潔も個人的経験ですが、この救いを受けた者は神の教会(エクレシヤ)を形づくる者とされたのです。 「教会はキリストのからだであり。」(エペソ1:23)、 「…ひとりひとりは各器官なのです。」(汽灰螢鵐12:27)という聖句はそのことを表しています。これは目に見えない不可視的教会(時代、地域を越えて存在する普遍的教会)という概念に留まらないで、目に見える可視的教会(地上に空間を占める地域教会、チャーチ・オブ・ゴッドもその一つ)という具体的な教会を形作ることを意味します。  「福音の宣教」は「聖潔の生涯」に進み、「聖潔の生涯」は「教会の形成」という具体的な形となって結実します。信仰とは単なる実存的な出来事ではありません。具体的に「教会の形成」となって現れるのです。 チャーチ・オブ・ゴッドの群れはこの点において明確な理念をもって教会形成に臨んでいます。福音の宣教⇒聖潔の生涯⇒教会形成の図式は循環して最初の「福音の宣教」の主体となるのです。つまりそれぞれ次の働きの主体となって連続的循環的働きを生むのです。この循環は教会が主の再臨によって天に上げられるまで繰り返される働です。以上がチャーチ・オブ・ゴッドの信仰(神学)の特色ということが出来ます。